国明:俳優と美女のお出かけ:高尾山に捧げられた川柳詩の額入りセットを鑑賞(売り切れ)

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芸術家: 歌川国明(活動期間 約1844-1868年)
タイトル: 芸者と美女のお出かけ:高尾山に捧げられた川柳詩の額入りセットを鑑賞日付: 1861年

春のお出かけ中に、三人の女性が二人の有名な歌舞伎俳優に出会い、お互いに振り返って話しかける様子を描いた三枚続きの絵。江戸郊外の寺院で詩の展示を見学している二組のグループが出会う様子を描いた興味深い作品です。この絵は、高尾山薬王院祐喜寺で行われた実際の川柳詩の展示を紹介しています。ここには、沢村田之助三世(1845-1878)が菊紋(円内に菊の花)の着物を着用し、中村福助三世(1846-1888)が菱紋(菱形のバリエーション)の黒い羽織を着用しているのが見えます。

有名な女形役者として知られる田之助が、公の場で女性としても着飾っていることは興味深いです。田之助は1860年に盛田座の女形役者として活躍しました。ここでは、1865年の悲劇的な劇場事故の前の田之助が描かれており、その際に命を救うために両足を切断しなければならなかったという出来事が起こります。田之助は、その後も10年間にわたり、障害が進行する中でも演技を続けました。

春の美しい日にお出かけする三人の美女たちも素敵に着飾っています。おそらく詩のコンテストが行われ、ここには最高得点を獲得した人々が公開されているのでしょう。

高尾山薬王院は、江戸の西郊外に位置する八王子にあり、紀州徳川家によって保護されていました。江戸の市民にとっては楽しいお出かけスポットとして人気がありました。

川柳詩の創始者は、狩井川柳で、俳句に似た5-7-5の音節構造を導入し、ユーモアや皮肉を含んだものでした。ここでは、川柳六世が1861年の春に約73編の高評価の詩を選び、2編の詩を追加しました。左端にある最後の詩は、川柳六世の自作詩で、名前は川柳六世となっています。その前の詩は、このイベントの主催者である抹木によるものです。シートの右端には、月とウサギの絵があり、その下には編集者である晋斎のサインと抹木の印があります。このリストシートは詩人に配布されたことが知られています。

状態: 印象、色合い、状態ともに優れています。
寸法: 大判三枚組; 各シート約37.3 x 25.5 cm
出版社: 山口屋藤兵衛

印: 彫師の印 横川彫岩

署名: 国明画

SKU: KNK010