貞秀:孝明天皇と共に横浜沖を航行する徳川将軍の西洋砲艦蒸気船
Artist: Gountei Sadahide 貞秀 (1807-ca. 1878) Date: 1864年 1月
周囲のすべてを圧倒する劇的な威力の誇示であり、日本史の興味深い一幕を描いています。1853年、ペリー提督の黒船が江戸湾に出現した不意の衝撃ののち、ここでは孤立主義の孝明天皇が西洋の軍事技術を自らの目的のために採用した様子が示されています。蒸気軍艦の国産化に失敗した後、幕府と諸藩は1861年に造船を内製から西洋からの購入へと転換しました。1868年までに、蒸気船は26隻に達していたともいわれます。本図の蒸気船は題名に艦名がなく、特定艦か、計画艦、あるいは複合的な「夢の船」かは研究者の検証を要します。プロイセン海軍の外輪コルベットSMS Danzigが乾腐のため1862年に英商会Dorset and Blytheへ売却され、Eagleと改名後、1864年に徳川幕府が購入し、のちに戊辰戦争で回天丸として参戦した回天丸である可能性も考えられます。
貞秀は西洋の黒船図で名高い一方、ここでは蒸気外輪を備えた帆船に天皇の侍が満載され、その下段には砲列が並びます。艦の甲板には天皇の御紋を染め抜いた紫の几帳や旗が掲げられ、すなわち“seven-five paulownia”七五桐、 中央に7弁、左右に各5弁の花を配した桐紋で、天皇家の第二の御紋として用いられ、天皇の臨席を示します(第一は十六弁菊)。吹流しの紅白縞は、この船の規格外の巨体を知らせる警告表示です。数百人の侍が乗船し、多くの和船がこの蒸気砲艦を護衛、艫側の几帳の背後には兵が整列しています。背景には横浜の市街や埋立地が見え、いずれのエリア名も丁寧に記されています。
本作は幕末期、すなわち孝明天皇の御代における徳川幕府末期に制作されました。 孝明天皇の治世には、1853年・1854年のマシュー・C・ペリー来航による日本の米国との本格的な初接触と、その後の西洋諸国への開国強要によって、220年に及ぶ鎖国が終わり、国内は大きな動乱に見舞われました。孝明天皇は外来のものを好まず、列強への開国に反対でした。治世は内乱と党派抗争に支配され、天皇崩御後まもなく徳川幕府の崩壊と明治維新へと結実していきます。横浜港は1859年6月2日に正式に開港しました。
Condition: 摺・色・保存ともに極めて良好。皺、微細な汚れ、ごく小さな虫穴が一点。船体外板には漆風の光沢仕上げが施されています。
Dimensions: 大判三枚続(各紙 約 37 x 25.3 cm)
Publisher: 江戸通油町の藤岡屋慶次郎 刊
Signature: Gountei Sadahide 画
SKU: SAD045